87 鏡王女は、百済武王と新羅善花公主の娘。

2024年04月27日 19:11

中大兄皇子の異母妹鏡王女は生粋のお姫様

 天智、天武、鎌足。大物政治家3人相手の鏡王女を巡る事件は7世紀後半の日本における最大のトピックスだった。斉明4年の時点で、斉明・天智消しの謀計があった。それは製鉄豪族で、富と権勢を誇る鎌足を巻き込んで企てられたものと推定される。天智をして異母妹鏡王女を、急遽鎌足に降嫁させたのはその謀計を阻止せんがためではなかったか。
 鏡王女は、百済武王(舒明天皇)と新羅善花公主(善徳女王の妹)との間に生まれたお姫様。鎌足に降嫁した時、鏡王女はなんと天武の子を孕っていた。天智はその事実を知りながら、あえて鎌足に嫁がせたのであろう。「どうだ!鏡王女は新羅と高句麗の人質なのだぞ。」とうそぶく天智の顔が見えるようだ。天智のしたたかさも並ではない。事実鎌足の反天智の動きは止んだ。しかし北東アジアの情勢が、百済と日本朝廷に対して、決定的に不利に動き出した。斉明6年(660年)、唐は10万の大軍を派遣、新羅と手を組み百済を滅ぼす。斉明がなくなるのはその翌年である。
 古代にあって、中国、朝鮮、日本は東アジア圏として緊密な繋がりを持って動いていた。斉明は百済武王の妻、沙宅妃であり、武王は舒明天皇その人である。政変の百済を追われた沙宅妃、その息子翹岐(天智)、翹岐の双子の妹間人皇女、彼らの異母妹鏡王女、沙宅妃のブレイン額田王。日本に亡命するやいなや、舒明一族として日本の覇権を握ることができたということは、当時の日本を支配していたのは百済勢力だったということを意味する。そして中国の唐帝国は、韓半島の支配をもくろみ、日本にも魔の手を伸ばす。

記事一覧を見る

powered by crayon(クレヨン)