86 日本最古の貨幣は天武が作った富本銭

2024年04月24日 10:12

扶桑=富本=日本

 1999年1月20日の各朝刊に「最古の貨幣は富本線」「和同開珎説覆る」「富本線律令国家の象徴」「天武朝大規模鋳造か」などの文字が躍った。発掘調査中の飛鳥池から「富本」と書かれた銅銭が33枚、まとめて発見された。「富本線」はこれまでも5点出土しているが、通貨ではなく呪い銭とされていた。しかし今回の出土は数もさることながら、鋳棹についたままの状態で発見されたため、新聞報道のとおりとなったわけである。
 『日本書紀』天武12年4月15日条に記して曰く「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」とある。2世紀から4世紀にかけて書き綴られたとされている中国の古典『山海経』には東海の日の出るところにあるという神木を扶桑木と呼びその地方のことを扶桑国と呼んだと記されている。扶桑はブポンであり富本銭の富本はブボン、類似音である。扶桑=富本=日本であったと言える。天武は初めて日本という国名を名乗った人物だ。
 天武天皇は結局、天智の息子である高市皇子に暗殺された。高市は殺しただけでは飽き足らず、天武の墓を暴き白骨化した遺体の頭蓋骨を取り去り、高松塚古墳に埋め戻した。天武の怨霊の祟りを恐れた行動とも言えるだろう。
 ところで夾紵棺(きょうちょかん)という棺がある。夾紵棺は7世紀の終末期古墳にみられる高級な棺(ひつぎ)で、漆で麻布を貼り重ねるなどのつくりから、当時高貴な階級にいた人を埋葬するために用いられたと考えられている。夾紵棺は、その断片が柏原市玉手の安福寺でも昭和33年=1958年、関西大学考古学研究室によって発見された。この事実は猪熊兼勝氏によって紹介され、平成29年(2017)10月13日のNHK「歴史秘話ヒストリア」でも放送された。安福寺で見つかった夾紵棺の一部は45層もの絹を用いた極めて特殊な構造。その幅は記録に残る聖徳太子の棺台(太子町・叡福寺北古墳)に一致し、また安福寺と叡福寺が江戸時代に交流があったことから、太子の棺である可能性も指摘されている。
 しかし夾紵棺は7世紀後半に作られた棺の様式なので、聖徳太子の生きた年代には合致しない。そもそも聖徳太子は実在しないというのが今日の定説である。漆で麻布を貼り重ねて作った夾紵棺は、斉明天皇のものと藤原鎌足のものであると言われている。とすれば麻布ではなく絹を45層も貼り合わせて作られた棺は、斉明や鎌足と同時代に生きた人物で、さらに位が上だった人物のものということになり、それにあてはまるのは天武天皇しかいない。とすれば聖徳太子の棺と伝承されているのはじつは天武天皇の棺であり、聖徳太子は天武天皇その人ということにならないか。両者とも赤毛であり、棺が一致しているという事実は甚だ興味深いと言える。

記事一覧を見る

powered by crayon(クレヨン)