日本の国産みの神、イザナギ・イザナミ兄妹の間に生まれた初子は「蛭(ひる)のように手足の萎えた子=蛭子」であったので、「葦」の船に入れて流し捨てたとある。この「葦」のアは「最高の」、シは「鉄」を表す古代韓国語である。「鉄のような頑丈な固い木で作られた船」に乗せて蛭子は海に流されたことになる。面白いことにこの続きは韓国の官撰古史書『三国史記』に語られていた。
倭国の東北一千里にある多波那国の国王と女王(イザナギとイザナミ)との間に大きな卵として生まれた子は父王によって船に乗せられ流された。船は新羅の阿珍浦(今の浦項=ボハン)に到着。新羅初代王朴赫居世の「魚取り」の老婆がこれを発見。船の中にいた「特別な骨相」の男の子を優れた知識人として育てる。この青年は新羅第2代南解王に重用され、その娘婿となって倭国と友好を結び、交流を図ったとされている。
もう一つの官撰古史書『三国遺事』はより克明に蛭子こと昔脱解(ソォク・ダルへ)王にまつわる話を記している。阿珍浦に着いた船は長さ20尺(約6メートル)、幅は13尺(3.9メートル)、当時としては大船だった。船の中には端正な顔立ちの男の子が座っていた。その子と一緒に奴婢も大勢いた。金、銀、ガラス、青玉、真珠、珊瑚、瑪瑙など七宝もぎっしり積まれていた。上陸後その子は杖をつき、従者を連れて吐含山(745メートル)に登り、7日間その山上で都慶州の地勢を探査し、幻の「三日月地帯」を発見、この地を取り上げてしまう。その地が代々新羅王宮とされてきた月城(半月城)である。昔脱解が優れた製鉄技術を持っていたことがわかるエピソードである。しかし昔脱解は金首露に挑んだ製鉄技術合戦には負けている。