信濃の中心部を開いた高句麗集団の諏訪族。北九州からやって来て西北部を開いた百済系の海人部族の安曇族。信濃南部の地を金属技術を中心に開拓した新羅系の金氏集団の阿智族の三部族が上古の信濃を開拓した。
安曇族は対馬の豊玉彦の子である穂高見命が穂高岳に降臨し安曇野地方を開拓した。饒速日尊が信濃国開拓の人手不足から対馬の安曇族をよびよせたものであろう。諏訪族は出雲系の稲作民族を率いた建御名方命が諏訪盆地に侵入し、洩矢(もりや)神を長とする先住民族を討ってその地を支配、建御名方命は諏訪大明神となった。
阿智族の中核をなした神社が阿智神社で、祭神は天八意思兼命とその子天表春命。天は新羅人のこと。八は鉄国穢を指すところから優れた金属技術を有していた穢系の新羅人集団がこの阿智神社を中心に集まり、南信濃の先端技術をリードしたものと思われる。阿智神社のアチはアルチを指す語であって、アルチは「金属王」を意味する。それが日本語の「あるじ=主人」となった。
信濃の真田は強かった。真田昌幸は信濃上田城主。その子幸村は、大坂冬の陣で大阪城に入り、徳川軍を悩ませた。「真田十勇士」と言えば、猿飛佐助、霧隠才蔵らを指す。サは「鉄」、ナは「出る」、タは「土地」。鉄の出る土地の兵は強かった。優れて強力な武器を持っていたからである。現在の上田市真田町。諏訪に隣接する「佐久」も鉄処。サは「鉄」、グはグプつまり「冶く=焼く」の意。鉄つくりをあらわす。