64 かぐや姫のモデル

2024年04月10日 13:25

多臣品治の息子役行者の娘

 『竹取物語』は、平安時代前期に成立した物語。「現存する日本最古の物語」とされている。その主人公かぐや姫には実在のモデルがいる。かぐや姫のみならず、かぐや姫に求婚した5人の貴公子も実在した歴史上の人物であることが現在は定説となっている。
①石作皇子は、多治比真人嶋(624から701)多治比古王の子。
②車持皇子は、藤原不比等(659〜720)
③右大臣阿倍ご主人(?〜703)左大臣阿倍内麻呂の子
④大納言大伴御行(635〜701)右大臣大伴長徳の子
⑤中納言石上麻呂足(639〜717)物部宇麻乃の子
これらの人物が登場していることからして、『竹取物語』は7〜8世紀の日本朝廷を中心に、描写された物語であることが確認される。したがって当時の「帝」は697年から707年にかけて皇位にいた文武天皇であると推定される。文武天皇の老年に日本朝廷で起きた事件があった。美女をめぐる世紀の婚姻騒動である。新羅32代の考昭王が跡継ぎのないまま亡くなり、弟聖徳王が即位する。この聖徳王妃が他ならぬ日本きっての美女、かぐや姫である。仲人は文武天皇。「帝」は孫の妃を探していたことになる。
 「月の都」から迎えが来るというかぐや姫の話がここで釈然とする。新羅王の宮殿は「月城」と呼ばれていたからである。現在韓国の慶州にあるかつての王宮は今でも「月宮」、「月城」と呼ばれている。
ではかぐや姫のモデルは誰かというと多臣品治の息子役行者(役小角ともいう、吉野の金峰山で修験道の基礎を築いた)の娘大姫である。

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