63 一回のたたら製鉄に薪を100トン使う

2024年04月08日 17:00

たたら製鉄は大陸のタタール人(韃靼人)から伝えられた

 今も、島根県の奥出雲では年に一度、たたら製鉄が行われている。三日三晩休みなく作業する一回のたたら製鉄で、2トンの玉鋼が作られる。そのために必要な砂鉄は24トン、木炭が28トン、薪に至ってはなんと100トンである。一つの山の木を丸ごと伐採しなければ得られない量である。そしてはげ山を元通りにするのにおよそ30年かかるという。木の調達が古代製鉄の最大の問題だった。
 スサノオ(素戔嗚)は古代朝鮮にミチュホル国を建てた英雄だが、母ソソノ(高句麗の建国者チュモンの妻)に「こんなところ(韓半島)にはいたくない」と叫んで日本列島に渡り出雲で製鉄を行った。また製鉄に長けた古代穢系の朝鮮人は木を求めて韓半島を南下し、伽耶諸国を建設、その後大挙して日本列島に渡った。伽耶諸国と日本列島古代にのみ見られる前方後円墳がそれを物語っている。
 また後代、文武天皇(実は新羅の文武大王)は、木曽路を拓いて伐採した木で大量の炭を作り、それを新羅に送っている。オリエントのヒッタイト王国が世界史上初めて鉄を使って以来、現在も鉄器時代は続いている。鉄を把握すること、それはとりもなおさず権力を得ることに他ならない。
 日本のたたら製鉄は大陸のタタール人により伝えられたともいう。日本刀の鋼として優れた品質を誇る「玉鋼(たまはがね)」は現代最高の製鉄技術でも再現不可能と言われる。奥出雲に流れる斐伊川(ひいがわ)はスサノオが奇稲田姫(くしいなだひめ)を救うためにヤマタノオロチを退治するという伝説の舞台になっている川である。斐伊川の上流では鉄穴(かんな)流しという方法で砂鉄をとっていた。製鉄に欠かせない広大な森林を保有し管理していたのが鉄師である。

記事一覧を見る

powered by crayon(クレヨン)