59 韓半島、日本を狙う唐の野望

2024年04月02日 17:28

唐は新羅のクーデターを企んだ

 新羅30代文武大王はなぜ日本に亡命したのか?新羅は骨品制によって聖骨(ソンゴル)の身分でなければ王になれない。しかし金官伽耶建国者の直系子孫でありながら、亡命貴族として新羅の大将軍に甘んじている金庾信(キム・ユシン)と天性の外交官として唐の信頼を得ながら、身分が真骨(チンゴル)であるために王になれない金春秋(キム・チュンチュ)。二人の壮大な未来予想図が描かれた。キム・チュンチュは第29代新羅王武烈王として即位する。ヨン・ゲソムンとキム・ユシンの妹宝姫との間に生まれた法敏(ホムビン)は、武烈王とキム・ユシンのもう一人の妹文姫との間の子として第30代文武大王に即位した。武烈王と唐のつながりによって、党と新羅の連合が成立し、連合軍は百済・高句麗を相次いで滅ぼし(百済滅亡660年、高句麗滅亡668年)、韓半島を統一した。
 しかし、唐は、韓半島ひいては日本をも征服しようと、文武大王の舅である金欽突(キム・フンドル)を使ってクーデターを企んだ。その計画を察知した文武大王は自身は死んだことにして、長男の神文王を即位させ、実父ヨン・ゲソムン即ち天武天皇の支配する日本に亡命した。
もともと高句麗は現在の中国東北地方を長年支配し、広開土王の時代には中国の中原地方をも支配した歴史を持つ。数回にわたる高句麗遠征の失敗して滅びた隋の煬帝。唐の二代皇帝李世民も高句麗攻めに失敗、その時の戦いで負った傷がもとで死んだ。唐の韓半島や日本を支配したいという執念は凄まじいものだった。李世民を撃退した高句麗将軍ヨン・ゲソムンは韓国では知らぬ者はいない英雄で、赤毛赤髭の特異な風貌に加えて常に5本の刀を背負って戦う勇姿が有名である。

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