32 天武の詠んだ天智暗殺の歌

2020年12月23日 09:01

万葉集9ー1664   雄略天皇

歌意
夕方になっても「休めよ」または「射ようか」山の小椋山で、いつも私を狙っていた「鹿」が、今宵は声も出ない。それもそのはずだ。私の手にかかって死んだのであるから。ああ、今夜こそぐっすり休めと、この静けさが私に話しかける。

「夕されば、、、」。それはまさに雄略天皇ならではの歌であり、鹿を除いては全文韓国語。血の匂いを漂わせる暗殺者の歌である。雄略が「臥鹿之」と言ったのは市辺押磐皇子を隠喩したもの。市辺を吏読風に読むと「シカ」で鹿と同音である。雄略天皇は、王の座を虎視眈々と狙うライバル市辺皇子を鹿狩りに誘い、一気に射殺してしまう。

 舒明歌は雄略歌の替え歌ではないか。つまり雄略歌の形を借りて何かを暗示したパロディーであると考えてみると納得がいく。舒明歌は、入鹿を亡き者にした中大兄皇子すなわち天智の歌と見るべきではないか。小と蘇の韓国音はソ。従って「蘇我倉山田石川麻呂」というなまえから「小倉山」の三文字を掘り出すことができる。つまり舒明歌にある「小倉山」は山の名ではなく石川麻呂を指しているものと思われる。中大兄は中央豪族の蘇我入鹿やその分家の石川麻呂など「鹿」一族を粛清し政権の強化を一気にはかった。

 9ー1664歌は、天武の詠んだ天智暗殺の歌であり、8ー1511歌はそれを天智の蘇我入鹿殺しとしてパロディー化したもの、と言えるのではないか。つまり舒明天皇とはなんの関係もない。従来訓の「小倉山の鹿は今夜はめずらしく鳴かないね。もう寝てしまったのだろうか。静かな夜である」で納得してきたが、考えてみると平凡すぎて、後世まで残したいと思うような歌ではない。

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