24 天智と鎌足の決裂

2020年12月17日 21:30

万葉集8ー1419   鏡王女

歌意
干上がり払底、言屋に群がる。「金庫廻り」、しきりに拒み息子殺しで対峙された。(官費が底をつき、鎌足の社に人々が押しかけてきます。お蔵の鍵を持つ鎌足はこれを頑として斥け、ついにアゴ=息子が殺されました。)

663年3月 2万7千人の日本兵が百済に向かい出発。8月28日白村江の戦いで大敗。
664年2月 唐将軍劉仁願が使者を日本に送る。筑紫に水城を築く。大野城建設始める。
665年 間人皇后(天智の双子の妹)没。9月、唐使劉徳光ら来日、入京。この時鎌足の長男貞慧も帰国する。中大兄は国費を使い果たしていた。頼りにするのは鎌足の大いなるフトコロだった。ところが鎌足はなかなかうんと言わない。そうこうしているうちに、使節についてきた鎌足の長男貞慧(実は孝徳天皇と寵姫阿倍氏の子)が殺される。中大兄の鎌足への意趣返しだった。

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