平安朝文学を代表する『源氏物語』絵合わせの巻で、紫式部は『竹取物語』を日本における「物語のいでき始めの祖」と称賛している。しかし当時才女として紫式部と並び称された清少納言は著作『枕草子』の中で『竹取物語』については一言も言及していない。そのものはづけの「物語は…」の章段に『竹取物語』は除外されている。清少納言は『竹取物語』の下敷きにある生々しい「歴史」を感じとっていたのではないか。
『竹取物語』には5人の求婚者が登場する。この5人の男はこれまでの研究によって歴史上の人物であることはほぼ定説化されている。これらの人物想定からして『竹取物語』は7〜8世紀の日本朝廷を中心に描写された物語であることが確認される。従って当時の「帝」は日本亡命後15年目に即位した文武天皇。文武天皇は韓半島からやってきた生粋の新羅人であった。「倭根子豊祖父天皇」という老齢を表す諡号を持つ。即位するまでの15年の長い放浪を「15歳の青年」のロマン溢れる物語として綴り上げたのが紫式部の『源氏物語』である。このスター天皇の老年に日本宮廷周辺で起きた事件があった。美女をめぐる世紀の婚姻騒動である。新羅第32代の考昭王が跡継ぎのないまま亡くなり、弟聖徳王が即位する。この聖徳王妃が他ならぬ日本きっての美女かぐや姫である。仲人は文武天皇。「帝」は孫の妃を探していたことになる。
「月の都」から迎えにくるというかぐや姫の話がここで釈然とする。新羅王の宮殿は「月城」と呼ばれていたからである。慶州にあるかつての王宮は今でも「月宮」「月城」と呼ばれている。結婚式が行われて、704年5月文武天皇の大極殿の西楼に慶雲が現れる。日本の史書にあらわれる「西」はほとんど例外なく新羅をあらわす。文武天皇は詔して天下に大赦し、年号をあらためて慶雲元年とした。源氏物語に先立つ901年、かぐや姫を主人公とする『竹取物語』が現れた。主人公のかぐや姫は新羅第33代聖徳王妃であった成貞王后(巌貞王后)である。