61 神功皇后は持統、武内宿禰は高市皇子

2024年04月03日 18:38

神功皇后の謎の新羅征伐

 『日本書紀』の神功皇后は地頭を投影した人物。したがって持統はあくまでも皇后であって天皇にはなっていない。常に神功皇后に影のように寄り添っていた武内宿禰は高市皇子を投影している。天武暗殺を主導した天智の息子高市皇子又の名は双子の弟小碓、即ちヤマトタケルである。高市皇子は大津皇子、草壁王子と次々に殺して天皇位に上った。
 文武71歳が即位した。持統なくして文武はない。穢系の製鉄場(シマ)を支配する鉄のお姫様、持統こそ古代日本の立役者と言えるだろう。
そして神功皇后の謎の新羅征伐は、文武の息子神文王の舅金欽突の親唐クーデターを鎮圧するために日本から軍隊を送ったことをいうのだろう。天武の反対を押し切り、文武のために行動した持統の姿が男装した神功皇后の姿として書紀に描かれているのだ。
 中国唐王朝の征服欲は限りなく三代高宗さらに高僧の妻則天武后時代に至っても、韓半島、日本列島を支配しようとする動きは続く。統一新羅を支配するべく、金欽突を利用して内部撹乱のくーでたを画策した唐の野望はじとうの「新羅征伐」の決断で頓挫したと言えるだろう。
文武天皇は15歳で即位し、25歳で夭折した持統の孫として知られている。孫のように文武を溺愛した持統、雌伏15年で即位し、10年の統治で日本の古代律令制を確立して亡くなった文武。
 15歳で即位、10年の治世で死んだ孫というキーワードは見事に一致する。日本書紀のファクション(事実+虚構)の妙技にはつくづく感心させられる。

記事一覧を見る

powered by crayon(クレヨン)