絵ピソード 

その92     
 
 国民的漫画「サザエさん」は、戦後すぐの1946年4月22日に発表された日本の典型的なサラリーマン家庭を舞台とした長谷川町子原作の漫画です。磯野波平とフネさん夫婦と、サザエさん、カツオ君、ワカメちゃんの三人の子供。サザエさんは結婚していて、夫のフグ田マス夫さんと子供のタラちゃんは磯野家に住んでいます。三世代同居です。
 おっちょこちょいのサザエさんの失敗が笑いを巻き起こし、読者は大笑いするという面白い漫画で、今もテレビで放映しています。波平さんとマス夫さんは定時に仕事を終えて帰宅し、6時頃には家族揃って夕飯の食卓を囲みます。戦前、戦後すぐの日本では家族で夕飯を囲むのが普通でした。父親が食卓に座らないと夕飯は始まりません。未来社会において、サラリーマンが長時間労働の末に過労死するなど、あの頃の日本人は夢にも思わなかったでしょう。
  変化の始まりは1954年から1973年まで続いた高度経済成長でした。「企業戦士」という言葉が生まれ、ある栄養ドリンクのキャッチコピーは「24時間働けますか」という過激なもの。家族の夕飯の団欒から父親が消えました。一億総母子家庭、旧家族制度崩壊の始まりです。
 そして次なる転機は、1985年制定の「男女雇用機会均等法」の施行。この法律によって仕事は一般職と総合職に分かれました。一般職は従来女性のものだった補助的、事務的な仕事です。あるテレビドラマで有能な一般職だったA子とB子が、上司から総合職の試験に挑戦しないかと誘われます。A子は挑戦することを決め、B子は一般職にとどまることを決めます。その時、周囲の者は「A子も遂に性転換したな」と噂します。つまり「A子も遂に男になったな」というわけです。総合職は残業あり、転勤あり、営業ありで、結婚、出産、育児を諦めて男にならなければできない仕事だと言っているのです。雇用機会こそ男女平等だけれど、男性に基準を合わせる働き方をしろというわけです。女に男になることを強いる法律のどこが進歩的なのでしょうか。むしろ後退しています。
 この時多くの家庭の夕飯の食卓から母親も消えてしまいます。共働きの両親は帰宅が遅く、夕飯は祖父母と子供たちだけになります。いいえ、核家族化が進み、祖父母の姿はとっくに消えています。子供達だけの食卓、いいえ一人っ子の場合はたった一人で夕飯を食べる個食という事態になっていきました。日本の夕飯風景が、サザエさんの食卓とは似ても似つかないものになっていきます。
 戦後、敗北の焼け野原から出発して、日本が瞬く間に先進国、経済大国に変貌していく過程で、今までにない新しい欠席理由により登校できない生徒がポツポツと現れてきました。1968年に不登校と名付けられ、今日に至るまで増え続けている学校の病理です。また1970年代後半から1980年前半にかけて日本全国で校内暴力という重大な問題行動が頻発しました。それが抑えられると、今度は陰湿ないじめが学校に蔓延します。逃げ場のなくなった生徒の自殺も多発し、その問題は今現在も続いています。家庭の崩壊、家庭の変化とシンクロして、学校崩壊、学校の変化も起こってきたのです。何事も二つ良いことはありません。経済的繁栄とともに失ったものは大きかったということでしょう。

その93


 学校に適応できない生徒たちが校内暴力や不登校やいじめという事態に陥っている反面、1979年から大学共通第一次学力試験が実施されることになりました。これによって、高校間で国立大学に何人合格させたかという熾烈な競争が行われることになります。朝、放課後、土日、長期休暇とあらゆる時間に課外授業を行い、模擬試験を実施し、親、生徒、教師による三者面談なども頻繁に行われるようになります。この偏差値ならここに合格できる、と生徒の志望を180度変えてしまうなどとんでもないことも行われるようになります。受験が学校のものになってしまったのです。
 クラブ活動もしかり。強いクラブほどその活動はヒートアップし、活動時間が長くなるので、宿題も課題も手がつかない、授業を聞く時間も惜しんで寝てしまうという有様。目標は違っても勉強やクラブ活動のために学校生活に過度に適応して、朝早くから夜遅くまで学校に居る高校生もまた大勢いるのです。その延長で職場に長時間いることに違和感を持たなくなったことも、現代日本人の働き過ぎの一因になっているのではないでしょうか。
 大学共通第一次学力試験は11年間続き、1990年から大学入試センター試験と名称を変え、2020年の1月まで実施されます。そして2020年度から大学入学共通テストとして実施する予定になっていますが、新しいテストでは、英語の読み、書き、聞く、話すという4技能を民間の英語テストを受験して測ることと、数学と国語に記述式の問題を導入するという大きな変革が目玉となっています。
 しかし、この目玉は2019年12月現在、二つともに潰れてしまいました。一つめは民間英語試験を準備することの困難な生徒がいて不公平だという理由で、二つめは記述式解答を採点する人手が足りず、アルバイトを利用することに危惧があると言うものです。
 センター試験は全てマークシート方式なので、(    )に適語を補充させたり、正解を語群から選んで記号で答えさせるという旧来の方式よりもっと始末の悪いものです。4つの文章うちどれが正しいか、どれが間違いかを答えさせる正誤問題なので、まぐれもあればヤマカンもあり、本当の意味で読解力、理解力、洞察力、創造力を測れるのか甚だ疑問なのがマークシート方式のテストです。
 日本人にとって英語をいかに学ぶか、ということと、記述式の問題で生徒の日本語の読解力を測るということは今最も重要な問題です。従って改革案を進めた方々は、共通テストの問題点を正しく把握していたと言えます。しかしその問題点の広範囲での共通理解を図り、その対策を吟味して考え抜き、世論を動かすことまではできなかったため、対応の杜撰さが批判されて新テストの目玉が潰されてしまったのです。

その94

 小学生の学力世界一はフィンランドです。フィンランドは日本の教育基本法を手本として教育改革を行なって学力世界一になりました。フィンランドの教育目標は「落ちこぼれを出さない」というもの。では、お手本とされた日本の教育はどうでしょうか。残念ながら「落ちこぼれ出しまくり」です。
 OECDの15歳の生徒の学習到達度調査(PISA)において日本の生徒の読解力が世界15位に後退したとメディアは大騒ぎです。この調査は情報化社会における情報リテラシーを問うもので、大人にとってもそう簡単な設問ではありません。答えをパソコンに打ち込むので、パソコン教育で世界に遅れをとっている日本の生徒には不利とする見方もあります。
 しかし問題なのはそこではなく、日本には、レベル1という易しい問題すら解けない生徒が15%もいるという事実です。しかもその割合は、2012年→2015年→2018年と増えているという深刻な事実です。つまり日本では情報リテラシーに大きな格差がある、日本語の読解能力格差が大きいという現実をPISAの結果は突きつけているのです。小学校での学習につまずき、中学、高校とさらに分からなくなり、それでもなんとかボーダーフリーの大学を見つけて入学し卒業して企業に就職したとき、彼らの上司が驚愕することになるのです。
 例えば9時10分前が8時50分であることがわからない、消費税が2%上がったと言っても、その2%という概念がわからない、英語のoftenはしばしばという意味であるというそのしばしばとはどういうことかわからない、頻繁ということだと言ってもその頻繁という言葉も知らない、よく〜するということ、と更に助け舟を出しても、よくってgoodのことですねと、どこまでもトンチンカンで会話が成り立たない。誤字脱字も多く、辞書を引かせると異常に長い時間がかかる。骨の折れる仕事だよというと骨折するとは肉体労働ですね、とくる。お手柔らかにと聞けば、手が柔らかいのですね、改行して書いてと指示すると改行ってなんですか、、、もうどうなってるんだと驚くばかり、ということが日本中で起こっているのです。
 レベル1以下の生徒に新聞を読め、本を読めと言っても始まりません。学習時間と読解力には相関関係がないので、国語の時間を増やせば良いということでもありません。帰国子女で日本語がよくわからないまま日本の高校に入学した女性の体験ですが、日本語がよくわからなくても会話はなんとかなるそうです。語彙力がなくても日常会話には困らない。絵文字で事足ります。しかし日本語の長い文章は全くわからず、そのショックで28歳まで一切本を読まなくなったそうです。しかし気象に興味を持ち、小学生向けの分厚い天気の本を繰り返し何度も読んだことで文章アレルギーを克服し、今ではライターとして活躍するようになったということです。

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