絵ピソード

その7      高校を卒業して上京し、大学生活を始めました。東京での生活はとにかく毎日刺激的で、高校までの自分の毎日は一体何だったのだろう、判で押したような家庭と学校との往復だけ、授業と行事とクラブ活動の繰り返し、課題とテスト勉強の合間にテレビを見て、
大好きな推理小説を読み、、、。
   上京するまでの自分の生活はまるで眠っているような毎日で、今やっと夢から覚めて起きたんだなと思うほどでした。大学時代は青年期の終わりで、大人として第一歩を踏み出す時と思えば、誰でも武者震いの一つもしたくなるというものでしょうが、特に私が大学に入った1968年は、今から思えば日本のみならず世界が、激動の渦に巻き込まれた時代だったのかもしれません。

その8           入学して1、2ヶ月過ぎた頃、学内のサークル棟で盗難があり、パトカーが来ました。すると瞬く間に学生たちがパトカーを取り囲み、大変な騒ぎに。パトカーは引き上げようとしましたが、にっちもさっちも身動きが取れません。無理やり動いたところ学生の1人が倒れ、警察が学生を轢いた、とさらに大騒ぎになりました。私たち一年生は、何が何だかわからずボー然とするばかり。私は学生寮の門限があったので、気にはなりましたが帰途につきました。後で聞くと、大学には古来自治権があり、国家権力=パトカーがみだりに学内に入ることは許されない、とのこと。大学が象牙の塔と呼ばれるのはこのことか、とも思うし、でも盗難があったんだし、とも思い、頭の中は⁇⁇。

その9        大学のサークル広告研究会の仲間とともに、ある時赤坂のTBS本社に行きました。「ネェ、ネェ石坂浩二がいるわよ。」「わぁ、本物だ。」などど騒いでいると、赤い旗が乱立している場所に出ました。たくさんの人が赤いハチマキを巻いて座り込んでいます。「何なの、これ。」「すごい。真っ赤だね。」「赤ばっかりでつまらないね〜」「もっとカラフルじゃないと。」「何で赤いの。」などと口々に喋りあいながら歩いていると、集団の一番後ろに座っていた男性が振り返って私たちに言いました。「労働者の血ですよ!」。TBSの労働組合が集会を開いていたのでした。血の赤だったんだ、、、、。無知な女子学生は真っ赤になってうつむくしかありませんでした。

その10        やはり何かが起こっている、とさすがに新入生も気づいてきました。日本だけではなく世界中でさまざまなムーブメントが起こっている。例えば私の大学では、学生の自治会がないのはおかしい、大学側は学生自治会を認めよとの全く基本的な要求、またある大学は移転反対の声が上がっている。違う大学は理事長のワンマン体制を批判し、また別の大学は授業料値上げに反対する。さらには大学と産業界の連携すなわち産学協同体制に反対する大学もあり、日本でトップの大学である東大は何と東大解体を叫ぶ。
    さらには日本全国の大学が連携して戦おうという全共闘運動が起こっていることに、徐々に気がついていきました。また戦後宗主国のフランスから独立する戦いが起こっていたベトナムで、フランスが大敗しベトナムから撤退しましたが、ベトナムがホーチミン指導で社会主義化することを恐れたアメリカがベトナム戦争に介入し泥沼化していることに対して世界中で非難がわき上がっていました。

その11      ファシズム軍国主義国家日本に勝利した時は英雄だったアメリカですが、ベトナム相手ではただの弱い者いじめです。原爆こそ使用できなかったものの、ベトナムのゲリラ兵(ベトコン)に手を焼いた米軍はジャングルを枯らすとして枯葉剤すなわちダイオキシンを大量に散布するなどありとあらゆる非人道的な手段を使います。日米安保条約によって、戦後の日本の独立は不十分なものとなりました。特に沖縄はアメリカの占領支配のままで、沖縄の米軍基地からベトナムへの戦闘機が飛び立っています。日本人にとってベトナム戦争はひとごとではなかったのです。
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 ちなみに、 第二次世界大戦後70年間、戦争していない国は一体何カ国だと思いますか。日本はもちろんしていません。しかし国連加盟国193カ国中、戦争をしていない国はたった8カ国なのです。スイス、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スェーデン、アイスランド、ブータン、日本の8カ国です。そのため20世紀は「戦争の世紀」と呼ばれています。経済大国で先進国の日本がずっと戦争に巻き込まれることがなかったのは、皮肉にもアメリカが作ってくれた平和憲法の賜物です。あの田中角栄さんは、戦争に加担しろと言われたらうちは憲法第9条があってできませんと言ってりゃいいんだと豪語したそうです。全く賢いですよね。それなのに同じ自民党ながら今の総理大臣は、集団的自衛権を閣議決定し、親分アメリカの行くところどこへでも行って戦いますよと尻尾を振っているのだから情けない。パックス=ジャパーナ(日本の平和)が今にも終わりそうで、怖いです。

その12        世界各地で大規模な反戦運動が、同時多発的に 起こっていた1968年。日本でも10月21日(国際反戦デー)に大変なことが起こりました。当時私の女子学生寮は原宿にありました。新宿で山手線に乗り換え、原宿までの経路で通っていましたが、その日は新宿で降り、東口に出てたくさんの群衆とともに、固唾を飲んでこれから起こる何かを今や遅しと待ち構えていました。秋の日はとっぷりと暮れ、目の前の光景はまるで「関ヶ原の戦い」みたいでした。
     片方にはジェラルミンの盾を光らせ紺の制服に身を包んだ機動隊、それと対峙しているのは、色とりどりのヘルメットをかぶって、口元をタオルで覆い、長い角材を持った学生集団。そして私たちいわゆる野次馬達も大勢いました。 張り詰めた空気を破るような大きな掛け声をかけながら、もう一つの集団が「関ヶ原」に到着です。ジグザグデモをしながら近づいてくる全身紺の服を着た精悍な集団は国鉄動労の組合員達でした。学生集団からは拍手が巻き起こり、、、。ついに戦闘の火ぶたが切られました。目の前に広がる凄惨な修羅場。私たち野次馬は慌てて地下道に逃れましたが、そこに血を流した負傷者が担架で運び込まれてきます。もう恐ろしいことこの上なく、早々に帰ることにしました。新宿騒乱は深夜まで続き、ついに「騒擾罪(今は騒乱罪)」が出されその場にいた734人が逮捕されたと知ったのは翌朝のテレビニュースを見て、でした。

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