絵ピソード

その1
     
  Annギャラリーの片隅を借りて、齢古希にして人生最初で最後のブログを 立ち上げることにしました。 人生100年時代に、70歳など何ほどのことはないですが、やはり長い道のりではありました。そして医学の発展が著しい今日、これから先も長いのかもしれません。
  平均寿命は長くても、健康寿命は75歳ぐらいですよと言われれば、えーっ、あと5年しかないじゃん、それは困る、足腰を鍛えて平均寿命までは生きたいです、と困った時の神頼み。それに現在ただ今、第四次産業革命が進行中ということで、野次馬精神の固まりである私としては、AIロボット革命の今後をその入り口だけでも見届けたいのです。
   晩節を穢すことなく、一人暮らしになっても自立して生活し、ピンピンコロリの極楽往生を目指して、日々悔いなく生きたいです。まだ人生は続きますが、70歳の一区切りに、今思うことをまとめてみようと思います。おつきあいくださいませ。
 
   私は1950年1月に生まれました。その年の6月に朝鮮戦争が勃発し、太平洋戦争後、瀕死の状態にあった日本経済が、米軍の特殊需要によって奇跡的に息を吹き返しました。 とはいえ、国民の暮らしは現在からは想像もできないほど貧しく、いわゆる発展途上国そのものでした。

   その2       当時の不衛生な暮らしは、蚤やシラミがお友達で、下着のシャツの縫い目に潜んでいる蚤をプチッとつぶしてから眠りにつく毎日。小学校生活第1日目の通過儀礼は、頭にDDT(殺虫剤)の白い粉を吹きかけられることでした。子供の頭に巣食っているシラミ退治です。家は国道4号線(青森から東京に続いている)沿いでしたが、舗装などされていず、砂利道で、車など一台も通っていませんでした。馬車が通るとその荷台に乗せてもらい、学校の近くで降ろしてもらいました。冬、砂利道は雪が解けずがっちり凍ってしまうので、犬(シェパード)に木のソリを引かせてお買い物。下駄の底に金属のついた下駄スケートで遊びに遊びました。何しろ車がいないのですから、国道は子供達の遊び場でした。

  その3       テレビがない時代なので、学校から帰ると、子供達は総出で広い国道を遊び回ります。かくれんぼ、鬼ごっこ、石蹴り、ゴム跳び、けんけん飛び、などなど、、、、。近所のりんご園の破れた塀の隙間から忍び込んでリンゴをゲットし、わいわい騒いで食べていたら、蜂の集団に刺され、バチが当たった〜とみんな大泣き。喧嘩をしたり、仲間はずれにしたりされたり、近所のおじさんおばさんから怒られたりおやつをもらったり、遊びながらいろんなことを学びました。

その4     小学生だったある夏の日、同級生3人と下級生1人の4人で、近所の川へ出かけました。たくさん泳いでいるメダカを手ぬぐいで掬ったり戻したり、水を掛け合ったり夢中で遊んでいてふと気づくと下級生の姿が見えません。川下を見ると下級生が流されていきます。私たちは口々に叫んで泣きながらその子を追いかけました。もうダメかと思ったその時、釣りをしていたおじさんがザブザブと川に入って下級生を助けてくれました。ホッとして私たち4人は抱き合って号泣しました。川の流れというものは思ったより早く、川を侮ってはいけないと思い知りました。
   メダカも今では絶滅危惧種。その当時の日本の面影も、もうありません。「何事も二つ良いことはない。」経済的繁栄と引き換えに、日本は綺麗な自然と子だくさんな環境を失いました。

その5      私は1ヶ月早く生まれた未熟児。生まれた時は牛乳ビンほどの大きさで、多分育たないだろうと皆が思ったそうです。当時は保育器などないので、湯たんぽで温められ、何とか生き延びました。いつまでもちびで、食も細く、好き嫌いが多い。風邪をひきやすく、一週間は寝込み学校を休む。それが、劇的に変化して同級生に追いついたのは中3でした。ここから普通になりました。牛も馬も生まれてすぐ立って歩きます。人間の子が歩くのは生後1年前後。月満ちて生まれても、他の動物に比べて一年間の早産だと言われているのですから、未熟児が普通になるまでには10年以上必要だということですね。

その6       小中高生の頃、親から勉強しろとは一度もいわれたことがありません。それどころか、テスト期間中に勉強していると、いつまでも起きてないで寝ろ、と電気を消されたものでした。入りたい高校も大学も自分で決めました。学校で進路指導など受けた記憶はありません。団塊の世代で人数が多く、親も先生も、面倒を見きれなかったのでしょう。 高校は男子生徒が女子生徒の3倍という人数構成。男女同じ点数なら、いやそれどころか女子の方が点数が高くても男子は合格、女子は不合格という時代でした。最近、東京医科大学の、女子に不利な入試判定が大問題になりました。今も昔も日本社会は男尊女卑。
その中で「輝け」と言われても無理というもの。
  大学の就職課で見た求人票の衝撃が今でも忘れられません。「男子のみ」のオンパレード。女子は試験すら受けさせてもらえなかったのです。今は「男女雇用機会均等法」があると?さすがにもはや「男子のみ」とは言えませんね。でも家事も育児も女性に押し付けて、転勤マストな総合職で女性がやっていけると?女性を「産む機械」であると平気でのたまう大臣のいる国、それが、日本です。

   

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